神戸デザイン都市をご紹介

有馬温泉の人形筆は、使うには惜しいデザインなんです

有馬温泉は、兵庫県神戸市北区有馬町にある温泉です。 日本三古湯の一つであり、林羅山の日本三名泉や、枕草子の三名泉にも数えられ、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされました。 名実ともに日本を代表する名泉の一つです。 瀬戸内海国立公園の区域に隣接する。

飛鳥時代、お子なきを嘆かれていた孝徳天皇と皇后宝皇女が有馬温泉に入湯したところ、皇子が誕生し有間(有馬)皇子と名付けられました。 これにちなんで人形筆がつくられたと伝えられております。 文字を書こうと筆を持つと人形が顔を出す、この仕掛けの面白さとともに筆軸の美しさに目を奪われます。 つやのある色糸を「矢絣」や「市松」模様にと巻きつける。使うには惜しい美しさにて、雛飾りに使う方もおられるそうです。

顕如上人が有馬土産として、ねねに有馬籠を贈ったとの記録があります。 太閤秀吉とともに有馬を訪れた千利休の求めによって、茶道具として作られた竹細工です。 現在も、茶道家からの注文が多くあります。 「有馬籠くつわ」の店先では店主がしなやかな竹の特徴を生かして見事な手さばきで編み上げているの見る事ができます。

神戸市立外国人墓地

神戸市立外国人墓地は兵庫県神戸市北区にある、欧米外国人家族専用の墓地です。 神戸市立外国人墓地の歴史は、兵庫開港に先立つ慶応3年の「外国人居留地を定むる取極」に始まります。 その年のクリスマスに現在の東遊園地東側にあたる生田川尻の小野浜で最初の埋葬が行なわれました。 翌明治元年1月1日には、兵庫の港が対外貿易のために公式に開かれ外国人居留地が設けられました。 神戸の外国人墓地は小野浜・春日野と歴史を重ね、昭和36年10月に再度公園内に両墓地の移転統合が完了し、現在の外国人墓地の礎が出来ました。 この墓地には明治以来、神戸に住んだ外国人など約2690柱が埋葬され、異国での永遠の眠りについています。 造船など近代産業の発展に功績のあった方や、わが国のパンや洋菓子の礎を築くなど今日の神戸文化の創造に多大な貢献をされた方々も埋葬されています。

六甲山地の再度山山頂近くにある再度公園の修法ヶ原池の西北約300メートルに位置し、約14ヘクタールという広大な敷地に、日本人の生活・文化に影響を与えた著名人を含む世界60カ国2600柱が埋葬されています。 遺族以外は墓地内への立ち入りは禁止ですが、毎年4~11月の第4日曜日に限り無料で一般公開しています。 なお墓地を遠くに見下ろす展望台への立入は自由です。 ここには堺事件で犠牲になったフランス水兵11名が埋葬されており、フランス艦船が神戸港に入港する度に乗組員一同が訪れて祈りを捧げる事で知られています。

箱木家住宅は日本最古の民家のデザインです

箱木家住宅は兵庫県神戸市北区山田町衝原にある歴史的建造物のことです。 国の重要文化財(1967年6月15日指定)となっています。 「箱木千年家」の通称で広く知られる日本最古と推定される民家の一つである。 室町時代建立の主屋、江戸時代建立の「離れ」の2棟が重要文化財に指定され、他に築山、中庭、納屋、土蔵等が遺存します。 現在は重文の「おもや」「はなれ」は隣接している資料館と共に公開されています。

当初建てられた「おもや」、江戸時代中期に建てられた「はなれ」(ともに入母屋造、茅葺)と「くら」から成ります。 「おもや」(主屋)は、最も古い建築で入母屋造茅葺き。 屋根が非常に巨大、かつ、軒が極端に低いため遠くから見ると縄文時代~弥生時代の竪穴住居を思わせるような形態です。 屋根を支えるために壁が多く、窓などの開口部が極端に少ないです。 建設当初から残る柱などには、鉋が発明される前まで使われた大工道具・手斧での仕上げがよい状態で残っています。 軸部は柱間を足固貫、飛貫、桁で繋ぎ、後世の民家のような、曲りのある材を用いた梁は用いておりません。 小屋組は古式の「おだち鳥居組」(垂木構造)とします。 「おもや」の内部は東半部(正面から見て右側)が「にわ(土間)」、西半部が床上部。床上部は3室に分かれ、表側が「おもて(客間)」、裏手は土間に面した部分が「だいどこ(台所)」、奥が「なんど(納戸)」となって構成されています。 土間には竈(かまど)と厩(うまや)が併設されていたため、実際に人間が起居していたのは「おもて」「だいどこ」「なんど」の3部屋のみでした。 また建設当初は畳が敷かれていなかったことも分かっています。足が痛いですね。